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生き恥ニーチェ

元気で根暗な女子大学生が需要もモラルも一切無視して思った事を書き散らかすブログ

空きコマでお酒を飲む、メリットとデメリット

 

今日は三限と五限の合間、即ち四限の時間にお花見と称して大学近くの原っぱでお酒を飲んだ。

 

お酒は近くのコンビニで友達と男気ジャンケンをして調達。

 

 

アホッぽい。

 

文字におこすと思ったよりアホな大学生だ。

 

 

ただ、、、ただ、、、

 

「ワ――――――――!!!!」

( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )

 

って感じで飲んだのではなくて

 

\\\プシューーー///

「「フウ、、、」」

 

「、、、、春休み何してた?」

 

 

「、、、、何もしてない。」

 

くらいの飲み方だったので。

原っぱの治安はそこまで犯していないことだけは確認しておきたい。

 

 

メリット

大学の授業の合間にアルコールを飲むという背徳感がいい。

大学生にのみ許される蛮行である。

 

これがもし、小学生、中学生の場合はどうだろうか?

 

私は小学生の頃、プールバックを家に忘れたことを教室についてから気づき、家に取りに戻るべく休み時間に学校からの脱走を試みたことがあるが、門から三歩と歩かないうちに捕獲された。その後親に通報である。

何もそこまでしなくても。

 

義務教育下では、学校から抜け出すことがまず困難。

 

では高校生はどうだろうか?

確かに学校を抜けることは不可能ではないが、おそらく高校の制服を着ている学生にアルコールなんぞ誰も売ってくれない。

 

 

社会人はまあなんかコンプライアンス的にダメであろう。知らんけど。

 

 

となるとやはり許されるのは大学生のみ。

背徳感が酔いを促す。

 

私は少し飲むだけでなんでも面白くなって幸せな気持ちになれるので、五限の授業はそれはそれは楽しかった。

なんの変哲もない授業だったが、楽しく、幸せに感じられた。日々の生活に喜びを見いだせた。

とても有益な過ごし方である。

 

 

授業の内容は全く覚えていないが。

 

 

 

 

デメリット

一緒に飲んでいなかった友達に「酒臭い」と言われた。

新学期早々酒臭いと言われるのは女子としていただけない。

たぶん男子でもいただけない。

 

それから臭いを気にして控えめに息をすることになった。

 

 

あと、途中でトイレに行ったときに鏡見たら、思ってたより顔が赤かった。はずかちい。

 

 

 

改善案

飲酒後の授業ではマスクを着用することで、これらの問題は解決できる。

次回はマスクを持参したい。(たぶんもうやらない)

 

 

 

 

 

 

 

以上、空きコマでお酒を飲んだ感想でした。

 

おやすみなさい。

スノボ納め、あとインスタいいね

 

instagramには業の深いものが溢れている。

 

最早写真そのものになんやかんやと言うつもりは無い。

instagramの、ナルシシズムに富んだ写真の投稿は昨今では既に文化として確立しつつある。

こうやっていちいちイチャモンをつけている私も、その潮流に便乗して粋っぽい写真を投稿することを楽しんでいる。

 

 

ただ、、、、

 

写真に付ける文章(キャプションというらしい)だけは納得できない時がある。

 

 

♯instagood ♯instalike 等のハッシュタグをつけることにもギリギリついていける。

 

ただ、、、、

本文から少し外れるのをいい事に、♯後の語句で大暴れする投稿が度々伺える。多々ある。

 

 

 

今回どうしても看過できなかったハッシュタグ

 

 

 

♯スノボ納め

 

 

 

 

 

 

いっっっっww いやそれっっっっwww

スノボ納めてwww

 

なんなん仕事納め??みたいな??

 

いやいや仕事納めっていうのは毎日毎日仕事してる勤労者が年末に納めるものであって、せいぜい5回か10回くらいのスノボは納めるものでは無くて(^^)

 

てゆーかそんなこと言うような輩はだいたい12月くらいから滑り始めてるわけで(偏見)

年またいじゃってる~~~(^^)

 

納めの定義~~~(^^)

 

~~~~~~~~(^^)

 

 

 

 

 

 

とここまで散々に言い散らかしましたが、別に ♯スノボ納め が凄い憎いとかではないです。

ただ、ちょっと引っ掛かったのを言い出したら止まらなくなっただけです。

 

 

 

 

それはそうと、instagramいいね機能の概念の崩壊も、看過できない問題だとおもうんですよねえ。

 

twitterいいねはまだ、「いいね!」の気持ちが込められていると思うんですけど、instagramにおけるいいねにはもう、あるべき「いいね!」の気持ちが消滅していると思うんです。

 

私の友達のほとんどは、instagramのいいねを各投稿初見で1秒もかけずに押します。

 

あの、ダブルタップしたらいいねできてしまうという便利機能の弊害だとも思うんですけど。

 

 

 

みたら即座にいいね

 

 

 

もうその❤には「いいね!」という気持ちは込められていない。

 

 

そんな空っぽないいねをもらって、あなたは本当にうれしいですか?!

 

心は、、、、、満たされますか!?

 

魂を込めたいいねが、、、、、、

 

❤が、、、、、、

 

欲しくないんですか!?

 

 

 

 

 

f:id:noza-nora-sr:20170411205816p:plain

 

 

 

 

ここまでを一通り頭の中でやり終えた後、私は ♯スノボ納め の投稿にいいねを押すのであった。

 

そこには一切の感情も無く。

ただ空虚な♡であった。

 

 

end

 

 

 

 

 

餃子の王将でのカップルのケンカ

自宅から徒歩50歩の所に餃子の王将がある。

徒歩50歩という奇天烈な単位を使ったのは、徒歩1分を下回る移動時間の単位を知らなかったからだが、それくらい自宅から近い所に餃子の王将がある。

 

 

そこの店主はとても人が良く、笑顔も素敵だ。

 

年配の紳士がカウンター席でもぞもぞしていると

「それが餃子のタレです。」

と瞬時に察して声をかける気遣いがある。

 

声もはきはきしていて、とても感じが良い。

 

 

そんな店主は覚えているだろうか、、、

およそ一年前、この店のテーブル席でケンカをしていたカップルのことを。

 

 

そのカップルは実に静かにケンカをしていた。

お互いに罵倒を浴びせることもしないで、ただただお互い口をきかず無音の時間を過ごしていた。

 

 

そのカップルは、同じ塾のにバイトとして勤める大学生だった。

男の方が一つ年上で、女の方が後輩。

その頃は、塾での生徒指導の方針がかみ合わなくてたまにギスギスすることがあった。

 

餃子の王将でのケンカはそんなギスギスがピークに達した時に起こった。

 

あんまり覚えていないが、確か女の方がコップを強めにテーブルに置いたことで、男は彼女が機嫌が悪いか、或いは威嚇していると捉えたようで威嚇に応じるかのように彼もまたコップを強めに置いた。

 

そこから硬直状態が始まる。

 

 

 

さて。

ここで男は何に対して怒ったのだろうか。

 

 

自分の女だと思っていた彼女に思いもよらない方法で威嚇されたこと?

 

彼女がコップを丁寧に扱わなかったこと?

 

コップや机の破損、そして店に対する配慮?

 

 

もちろん否。

彼はその前から怒っていたのである。

 

ただきっかけがコップだったというだけで、もうその前から怒りの源泉はふつふつ煮えくり返っていたのだ。

ましてやコップなんてどうでもよかったのだ。ただのスタートボタンであってそれ以下でもそれ以上でもないのだ。

 

 

こんなことは王将のカップルに限らず、いついかなる場面でも起こり得る。

 

 

例えば通勤・通学ラッシュの地下鉄。

なんでそんなことで怒るんだってくらいしょーもないことで喚き散らすサラリーマンがいたとする。

もう、原因なんて電車が30秒遅れたとかそんなようなことであろう。

 

まわりの人は思う。

「たかが30秒くらいで大げさな。」

 

しかし違う。

大概の場合は、彼らはその瞬間までに多くの鬱憤をため込んでいる。

それは、夫婦間の例えば明日は早いと昨日伝えた聞いてないなどという口論だったかもしれないし、現場から離れて中間管理職になったことによるストレスからだったかもしれない。

とにかくその前から怒りそうな状態だったのである。

そう、ただのスタートボタン。

それがわかりやすく表れただけ。理解しようとしても難しい。

機嫌が悪い人には、何をしたって逆効果なんだ。

 

 

 

では、機嫌がよくなるにはどうすればいい?

 

 

 

そこで私の大先生、ニーチェさんの言葉を借りたい。

 

 

いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。

『人間的な、あまりに人間的な』より

 

なるほど、確かに人のために何かをしてあげたときっていうのは、何かと機嫌が良い。

 

お年寄りに席を譲った時は、なんか「自分えらい!今日も一日一善!」みたいな 健康的な気持ちになるし、店の出入り口で後ろに続く人の為にドアを開けニコッと微笑みかけた暁にはもう聖人君子にでもなったかのような神聖な心持になる。

 

そう、これは少なからず正しい。

効果が期待できる。実用的な対処法だ。

 

 

だから、こんど不機嫌なサラリーマンを見つけた時にはこう声をかけてあげればいい。

 

 

 

「おじさん一万円ちょおだい(^^)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ~餃子の王将の店主、あのケンカ覚えてるかな~~~~

 

 

 

『椿町ロンリープラネット』

椿町ロンリープラネット』という、タイトルが絶妙にダサい漫画がある。

 

 

 

私の最愛の漫画と名高い『ひるなかの流星』の作者やまもり三香さんの作品。

 

これが凄くいい。

前作『ひるなかの流星』もそうだったのだが、女子高生と中年予備軍男性の恋描写が抜群にキュンキュンする。

また作者の趣味嗜好(或いは性癖)が遺憾無く発揮されていて、同じような趣味嗜好を持っている日本国民の心に直接訴えかけてくる萌えがある。

 

あと、最近発売された新刊コミックス7巻は、本編の内容もさることながら特別編に、『ひるなかの流星』のアフターストーリーが載っていこれがまたいい。

久しぶりに漫画を読んでいて泣いた。

『ワンピース』ドレスローザ編でキュロスが幾年もの苦難の末人間の姿を取り戻して国の為に戦う姿を読んだ時以来だ。

 

平凡な男の過去の恋に対する慎ましい想いが(二次元)、国、王、娘、世界を背負うような最強の男の命懸けの闘い(二次元)に匹敵するほどの感動を生むんだから、少女漫画は素晴らしい。

 

周囲の人間に「頭良さそう」って思ってもらうために、外では本を読むことにしているけど、やっぱり漫画はいい。

幾つになっても辞められない。

お父さん、高校生の時に

週刊少年ジャンプだから中年は読んじゃいけないんだよ!」

って言って辱めてごめんね。

 

順調に父の意志を引き継いでます。

 

敬具。

 

 

 

 

 

 

 

人と話している間に垣間見える根本的な価値観の違い

ってよくありますよね?

え、私だけじゃないですよね?

 

 

、、、、ああああああ

違う、、、、、、

 

いや、違くない。言わんとしていることは違くないんだけど、、、

 

 

なんかこの、ブログでの敬語口調が、みんなに向けて話してる感があって苦手なんだ。

さも、「誰かがこのブログを読んでますよ~」「このブログはみんなに読まれていますよ~」とでも主張しているようで、後から読み返した時に絶対に後悔するから、、、

 

いや、もう他人のブログに対してどうこう言っているわけではないんだ。

もうこれは完全に自分の問題。

自分が読者になる時は、むしろ敬語口調でこっちを意識してもらえてた方が読みやすかったりする。

「~ですよね?」とかいう投げかけがあったりすると

 

「うんうん!!!!!!そう!!!!わかる!!!!それで!?!?!?」

 

と同意しながらスムーズに読み進めることができる。

 

 

ただ、自分がそれをやったとなると。

三日後くらいに読み返したときに、めっちゃ恥ずかしくなる。

一通り、懺悔と後悔をし終えた後に、羞恥心を以て記事を編集する。

 

なんで自分がやると気持ち悪いんだろうね。

他人がやっているのはいいのに、自分がやってると凄い気持ち悪いことって、よくありますよね??

 

 

 

 

 

いや、やっぱだめ、、、、

 

 

 

 

 

 

ということで本題なんですが。

 

何気ない会話の中から、びっくりするほど根本的に違う価値観を他人に見る時がある。

 

今回は、「社会の中での自分としての自意識」について。

 

 

 

(道徳の授業のテーマみたいんなった。)

 

 

私がニューヨークで通っている学校は、週単位で生徒が出たり入ったりする。

期間は人それぞれで、私みたいに一か月とか、それより短い二週間とかの短期だったり、半年、一年くらい滞在する生徒もいる。

 

そこで先週最後の週だった私の日本人の友達が

「なんかこれで私が抜けても何事もなかったように来週からまた授業が為されるんだなあ。不思議な感じ。『コンビニ人間』を読んだ時に感じた感覚とおんなじだ~。」とふと呟いた。

(うろ覚えだから口調は多少違う。)

 

 

なんてうか、、、、

違和感を感じるのは私だけなのかな。

 

こう、、、、

 

え?まあ、そうじゃない?

普通じゃない?不思議ではなくない?

 

みたいな。

 

そもそも、私のような(その子も同様に)一か月くらいしかいない生徒って、一時的感がすごくあって、クラスの子と仲良く話せていても、完全に中に入っているわけではないなあという自覚を常に持っているから、そこから自分が抜けてそれでもその場所がそのまま続いていることに何ら違和感を感じない。

 

むしろ、最初からその一部になっている感覚ではなく、ただ付属品としてついていっていただけという認識だから、自分がいなくなってどうこうとかじゃなくて、自分がいなくなってこそ本来の形に戻る、というような感覚でいた。

 

自分でもなんで彼女の発言が引っ掛かったのかよくわからなかったから、文字に起こして整理してみたらわりと長くなった。

こんなことを一瞬で考えたわけではないと思うんだけど。

だから本当に、なんども言うけど根本的な何かなんだと思う。

 

そういうことが、たまにあって、で、それが起こると

「あ、この人自分と違う、、、」ってなって距離を置きたくなる。

 

だから、自分が今一緒にいて心地好いと思える人って、気づいてないそういう根っこの感覚が一致してるんだなと思う。

私は、根性も性格もひん曲がってるから、そう思える人はそんなに多くなくて、大切にせねばと改めて思った。

 

 

 

 

 

あああああああああああああ

なんか真面目でありきたりな感じになった。

 

しかもコンビニ人間についてちょっと触れておきながら何も掘り下げてない。

相変わらずのグダグダ感。

コンビニ人間については、私の感想では、あれは、意思や願望が欠落すると、人はいわゆる普通とは周りに捉えられなくて、そこで普通であろうとするのは難しい、というような、ある種特殊な考え方の人間を以て大衆的な考え方を絶妙に風刺しているものとばかり思っていたので。

入れ替わり、立ち代わりコンビニの商品のように人間が消費されていくことを風刺していたのか、とここで初めて気づいた自分の無能さを自覚したということが言いたかった。

長くなった。まあいい。

書きたかったことは以上です。

 

 

 

最後になんか面白くて奇抜なことをしたいけど思いつかなかった。

から、私がこの記事を書くにあたって気になって調べたことのURLを貼って終わりとします。

ほいでは。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

痛みと共に世界平和について考える

 

同居人のブラジル人が滅茶苦茶寝る。

10時に寝て7時に起きる。

それだけでも十分だと思うのに、更に昼寝とかする。

彼女は長生きすると思う。

 

 

それはそうとして、つい先日クラスメイトとタイ料理のレストランに行った。

一人のタイ人に引き連れられて、韓国人3人と日本人2人でタイ文化体験。

 

「ンディビュデュ」みたいな発音すらできない名前の料理が次々運ばれてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滅茶苦茶辛い。舌が焼ける。

辛い食べ物が特別苦手というわけではないんだけど、特別得意なわけではない日本人にとって、タイフーズは刺激が過ぎた。

 

顔を真っ赤にしながら食べる日本人二人をよそに、韓国人三人とタイ人が涼しい顔して食べていた。

タイ人が普通なのはいいとして、おい、韓国人。

シンプルに国民性をちらつかせるのね。

韓国人が辛いの平気なのは神話じゃなかったのね。

 

辛くて苦しんでる日本人が圧倒的少数派だったからなんかこっちがおかしいみたいになってすんごい笑われた。ふざけんな世界的に見たらそっちが異常だかんな。

 

まあでも辛くない料理もその後運ばれてきて、お腹を満たすことができました。

(料理名は一つも聞き取れなかった。)

 

 

料理を食べながらお互いの言葉を教え合って、それぞれヘタクソなハングル、タイ語、日本語を喋ったり、お互いの英語のイントネーションの違いを真似したりして笑いあってて、ここに世界平和の答えあり、とでも言わんばかりだった。

 

確かに、言葉は通じなくても心は通じ得るし、他にコミュニケーションをとる方法なんていくらでもある。

でもそれはお互いに好意的な気持ちを持っているときにのみ成立するものであって、例えばお互いを敵視し合っている時は分かり合えないことが多い。

 

同じ言語を共有することは、少なからずそこに、国籍にも似た同族意識を感じるきっかけになるし、それは時間を共有することと同じくらい価値を持つことだと思う。

 

そこに、共通言語を学ぶ意義があるんじゃないかなと思った。

 

日本にいるとあまり感じられないけど、韓国人の話や意識を聞いたりすると、民族同士の敵対とか政治不安とか、十分に発展してるとされている国でさえ抱えてる問題は大きいんだなあと。

そりゃシリアの方はもっと荒れるはずだわと。

 

 

激辛料理で傷ついた舌の痛みを抱えながら、そんなことを考えていました。

 

 

嫌悪感を感じる時

なんてこった。とんでもないことが起こった。

前代未聞、空前絶後の大事件だ。

 

ブログのネタを探すためにわざわざニューヨークまで来たのに、勉強で忙しくてブログを書く時間が無くなってしまった。

 

前回記事を書いたのは3月7日。

それからもう既に20日ほど経ってしまっている。

由々しき事態。如何ともすべき事態。

 

ということで久しぶりに筆をとったのだが。

 

 

 

 

あ~~~~~はやく日本帰りたい

 

 

 

回転ずし食べたい。こっちにも寿司はたくさんあるんだけど。

いやもうほんとにたくさん。ピザよりあるんじゃないかってくらい。

NYでの寿司の台頭がえげつない。

 

でもその寿司らしきものは全然寿司じゃないんだ。

ほぼほぼの寿司とやらが、カリフォルニアロールと呼ぶことを推奨したいくらいに巻かれている。

巻かれてるし、オレンジのソースかかってるし、胡椒とかもすごい。

たんま~にちゃんと寿司らしい姿かたちをした寿司を見るけど、九割九分酢飯じゃない。

酢飯じゃないと寿司じゃないやろふざけんなサーモンしか売ってないし。

唯一ちゃんとした寿司が売ってたのは、やたらたっかい高級スーパーみたいなとこだけ。

 

うひひひひひ~~~~

はやく日本に帰ってやっすいうに軍艦と軍艦巻きがたべたいよ~~ん

 

 

と、ここまでが導入。

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

導入が長くなってしまったので本文は簡潔にいきます。

 

人が人に嫌悪感を感じる時って、過去の醜い自分とか、自分が普段意識的に押し込んでいる自分の本質をその人に見る時なのかなあって思う。

 

人に負の感情を持った時は、なぜ自分が嫌悪感を感じたか冷静に振り返るようにしてるんだけど、そういう時って大体自分と少し似ているけど、自分が普段絶対にそうならないようにしようと努めていることをその人がしている。

 

自分とまったく違う次元にいる人に関して、人はそんなに嫌悪感を抱かないんじゃないかなって。

それはむしろもっと遠い、疎外感とか距離感になるのかなって。

 

 

なんとなくそう思いました。

人にもよるのかな。

 

 

 

seeeeeee yoooooooooouuuuuuu