生き恥ニーチェ

恥を積みながら生きてます。

「パンツクッタ」の成功率への疑問、そして理想

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せっかくのバレンタインだしということで。

 

パンをつくったんです。

 

そういえば、齢20にして初めてパンをつくったなあと。

そう思った時ぼんやりと幼少期の思い出が蘇ってきた。

 

「ぱんくつったことある?」

と投げかけて、「ある」と答えた者に

 

「ええ~~~っ!パンツ食ったことあるのおお!?」

 

と過剰に驚き相手を蔑む言葉遊び。

 

日本人なら誰もが耳にしたことがあるだろうし、私はこの類の遊びに喜びを感じる低俗な子供だったので夢中になって使っていた。

 

しかしよく考えてみると、この問いへの成功率、すなわち「パンつくったことある?」という投げかけに「うん」と答えてもらえる可能性ってそんなに高くないのではないかと疑問に感じた。

  1. この投げかけの真意を知らない上に気づかない
  2. パンを作ったことがある

子供でなければならない。

20歳にして初めてパンを作った私が異常でないとするならば、子供の時点でパンを作るという経験をしている者はごくわずかで、その上初めてこの問いに直面していなければ、素直に「うん」と答えることは考えられない。

 

 

 

 

 

 

とまあくだらないことをつらつら綴ったわけですけども。

 

何が言いたいかって、そんなくだらないことでケラケラ笑って楽しめていたあの頃が恋しい気もするし、でも、ちょっとはそっとじゃ笑わない、重厚な大人でありたいとも思い。

そんな風に思うことはたくさんあって、人と接せず自己の中に生きる思想家のようでありたい気もするし、たくさんの友人を抱えて、愛情を振りまきながら生きていきたいとも思う。

 

自分の理想通りに生きることだけでも難しいのに、その理想さえも常に揺れ動いていて、どこへ向かって生きればいいのかも見失ってしまう時がある。

じゃあ理想なんて持たなければと思ってしまうこともある。

 

そんな風に思ってしまった時、この言葉を思い出して欲しい。

 

理想を捨てるな。自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。

 

かのニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』に綴った言葉である。

誰もが理想や夢を持っているが、それを「過去のことだ」とか「青春だった」と懐かしんで昇華してしまってはいけない。

そんな風にしていると、いつしか若者を笑い、軽んじるような大人になってしまう。

 

私は自分より年上の人が言う

「若いねえ」

が嫌いだ。

 

若さを嘲笑っているようにも聞こえるし、自分と相手との違いを、ただ一重に「世代」の問題で片づけて、軽んじているようにも聞こえる。

実際には、もっと人間的な、個性的な何かが由来しているのかもしれなのに。

 

自分の魂の中の英雄を、しっかりと英雄として捉え続けること。

それは簡単なようで難しく、なんでもないことのようで尊いことなのかもしれない。

 

 

 

 

何言ってるのかわかんない。

初めてタイトルっぽい記事が書けたからよしとする。

 

もう書かない性に合わない。