生き恥ニーチェ

恥を積みながら生きてます。

痛みと共に世界平和について考える

 

同居人のブラジル人が滅茶苦茶寝る。

10時に寝て7時に起きる。

それだけでも十分だと思うのに、更に昼寝とかする。

彼女は長生きすると思う。

 

 

それはそうとして、つい先日クラスメイトとタイ料理のレストランに行った。

一人のタイ人に引き連れられて、韓国人3人と日本人2人でタイ文化体験。

 

「ンディビュデュ」みたいな発音すらできない名前の料理が次々運ばれてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滅茶苦茶辛い。舌が焼ける。

辛い食べ物が特別苦手というわけではないんだけど、特別得意なわけではない日本人にとって、タイフーズは刺激が過ぎた。

 

顔を真っ赤にしながら食べる日本人二人をよそに、韓国人三人とタイ人が涼しい顔して食べていた。

タイ人が普通なのはいいとして、おい、韓国人。

シンプルに国民性をちらつかせるのね。

韓国人が辛いの平気なのは神話じゃなかったのね。

 

辛くて苦しんでる日本人が圧倒的少数派だったからなんかこっちがおかしいみたいになってすんごい笑われた。ふざけんな世界的に見たらそっちが異常だかんな。

 

まあでも辛くない料理もその後運ばれてきて、お腹を満たすことができました。

(料理名は一つも聞き取れなかった。)

 

 

料理を食べながらお互いの言葉を教え合って、それぞれヘタクソなハングル、タイ語、日本語を喋ったり、お互いの英語のイントネーションの違いを真似したりして笑いあってて、ここに世界平和の答えあり、とでも言わんばかりだった。

 

確かに、言葉は通じなくても心は通じ得るし、他にコミュニケーションをとる方法なんていくらでもある。

でもそれはお互いに好意的な気持ちを持っているときにのみ成立するものであって、例えばお互いを敵視し合っている時は分かり合えないことが多い。

 

同じ言語を共有することは、少なからずそこに、国籍にも似た同族意識を感じるきっかけになるし、それは時間を共有することと同じくらい価値を持つことだと思う。

 

そこに、共通言語を学ぶ意義があるんじゃないかなと思った。

 

日本にいるとあまり感じられないけど、韓国人の話や意識を聞いたりすると、民族同士の敵対とか政治不安とか、十分に発展してるとされている国でさえ抱えてる問題は大きいんだなあと。

そりゃシリアの方はもっと荒れるはずだわと。

 

 

激辛料理で傷ついた舌の痛みを抱えながら、そんなことを考えていました。